記事番号: 1-1081
公開日 2016年02月23日
更新日 2018年01月04日
2月21日(日)に第3回目となる「甲州市の歴史的風致散策」を開催しました。当初は20日(土)に開催を予定していましたが、悪天候が予想されたため、翌日に延期しました。ご参加を予定されていた皆さまには日程変更により大変ご迷惑をおかけしました。
当日は市内外から20名のご参加をいただき、勝沼の歴史的風致を散策していただきました。
午前9時に勝沼支所を出発し、まず休息山立正寺と等々力山萬福寺を散策しました。立正寺は日蓮宗、萬福寺は浄土真宗の古刹で、境内から南にのびる参道には現在でも坊の跡が多数確認でき、また、塩ノ山から立正寺、萬福寺が一直線に並ぶ配置が中世の都市計画である条里の痕跡であるなどの説明がありました。
その後、等々力の寺町から諏訪神社へと歩き、甲州街道勝沼宿を通って、国指定史跡の勝沼氏館跡へ行きました。勝沼氏館跡は、15~16世紀の有力武将の居館跡で、武田信虎(武田信玄の父)の弟・信友が勝沼氏を名乗り、この地を拠点としていたと考えられています。館の中枢である「内郭」と、これを囲む二重の「堀」と「土塁」があり、その外側の「東郭」からは鍛冶工房や木製品加工の工房が置かれ、郭の中で工人達が働いていた様子がこれまでの発掘調査でわかっています。さらに、黒川金山から運ばれてきた金の加工作業が内郭で行なわれていたことも出土品の近年の詳細調査によりわかっています。
続いて、登録有形文化財の祝橋を経由して、日川の水制群を確認しながら土手を歩きました。日川水制は、明治40年代の二度の水害を受けて、国の直轄砂防事業として明治44年より実施された試験的な水制装置であり、さらに大正4年から昭和3年にかけて、上流部の流出土砂抑止のために勝沼堰堤をはじめとする砂防堰堤群が整備され、日川の川筋が定まりました。水制は川に対して垂直に並ぶ石積みの堤防で、74基もの水制工が整備されました。現在は土砂で埋まり、その全貌をみることはできませんが、土手を歩くと川岸やブドウ畑の中に一部その姿をみることができます。
普段何気なくみる風景のなかにも歴史的な遺構がたくさんあり、新たな気付きがあります。
甲州市教育委員会文化財課では、歴史まちづくり法に基づく「甲州市歴史的風致維持向上計画」の策定に取り組むにあたり、市民の皆さまへの周知と、ご意見をいただく機会として今年度3回に分けて塩山・勝沼・大和をご案内いたしました。今後もイベント開催について、市広報や市ホームページ、フェイスブックなどで随時お知らせいたします。ぜひご参加ください。